仕事に生きる・・趣味に生きる

日々の想いを記録します。

こんにちは、今回は「諸法無我」という言葉をご紹介します。

こんにちは、今回は「諸法無我」という言葉をご紹介します。

 


この言葉を意識する以前は、

何をやっても自己中心的な考え方で行動を起こしていたように思います。
上手くいくことがあれば、自分の能力が社会や周囲に認められて嬉しいと天にも昇るような気持ちでしたし、上手くいかないことがあると、自分の能力が足りないからなんだ!「本当に俺はバカだな〜」と、いうような落ち込み方をしていました。
気持ちにムラがあり精神的にも安定していなかったと思います。
その原因もあってか、周りにいる人達に不平・不満を言ってしまうことも多くありました。
そうなると、上手くいくことも上手くいかなくなって、悪循環になってしまっていました。今思い返すと、日常でネガティブな言葉を吐くことがとても多かったと思います。普段の生活で、家族・仕事仲間・友人達が常に周りにいて、自分が気がついていないだけで、助けてくれている事を忘れてしまっていました。
当たり前のことは全く当たり前ではないし、感謝です。このことに気づかないのは本当に良くないことで、殺伐とした関係の中で生活していく事になってしまいます。
自己中心的に考えるということは、考え方や感性の視野を狭めることなんだと思いました。
大切なことが見えずらくなったり、見落としてしまうことは本当にもったいない事だと思います。

 

f:id:kanbo:20190914112046p:plain


「諸法無我」という言葉は、

仏教の考え方から来ている言葉で、簡単に言ってしまうと「どんな出来事・現象などにも実体はない」ということだと解釈しております。
「何もない」と聞くと、ネガティブな印象受けたり、難しいことのように捉えてしまうかもしれませんが「ない」という考え方が「ある」とも受け取れるかと思います。
そういう風に考えることで、いかに普段の生活の中で、そもそもない「自分」を中心に物事を考えているのかという事に気がつきました。
それまでの私にとっては大きな気づきだったと思います。
誰にでも、こうなりたい・こうしたいといったような「欲」はあります。
そしてその「欲」がポジティブに人生を進めていくためのエネルギーになっていることは言うまでもありません。
悪い事だとは言い切れないと思います。でも、その考え方や気持ちが強すぎて、重きを置きすぎてしまうと、人生のバランスを崩してしまう事になるのではないかと思います。
この言葉を意識したり考える事で、そういったことから次第に普段の生活の中で、周りにいてくれる人との関係性や感謝するということを見つめ直していったように思います。
ある本を読んだことがきっかけでしたが、この言葉を知れたと喜びと同時に、いかに自分自身が勉強不足なのかという事を痛感し、また恥ずかしくもありました。

 

私は、自己中心的に物事を考えていると、

上手くいっている時はいい気分で楽しく毎日を送れていましたが、そうでない時は落ち込みも酷かったように思います。
いい時と、そうではない時のギャップが大きかったと思います。
それは、自己中心的に考えているからこその視野の狭さからきているのではないかと思います。
この言葉を意識することで「実体はない」「関係性によって物事は成り立っているものだ」という風に考えることで、人としての当たり前のことにしっかりと目を向けて生活していくようになっていったと思います。
具体的には、規則正しい生活を心がける事、家族・友人・仕事仲間へ親切に接するといったことです。
それができると、周りの人たちも自分に対して優しく接してくれ、穏やかな気持ちで過ごしていくことができると思います。

 

世間的には、

自分が好きなことを一生懸命に取り組むことは素晴らしいことだと語られることが多いように感じていますし、それは間違ってはいないと思います。
ある意味「私利私欲」というのは、ポジティブに人生を歩むための原動力になることが多いと思います。
ただ、あまりにも考え方が自己中心的になり過ぎてしまうと、悩み事・辛さ・息苦しさは増してしまうのではないでしょうか。
自分自身が気分良く過ごせていない事で、周りにいる人達に不親切な対応を知らず知らずの内にしてしまうこともあると思います。
それでは自分の能力を、社会や周囲に向けて余すことなく発揮していくことは、大変難しいと思います。


元々、実体のない「自分」という存在には、

あまり重きを置き過ぎずに、周りにいてくれる人たちへの感謝や接し方を改めると、そのいい影響が次第に広がっていきますし、それまでにはなかった視点を持つことができて、より人生自分が好きなことを一生懸命に取り組むことは素晴らしいことだと語られることが多いように感じていますし、それは間違ってはいないと思います。
ある意味「私利私欲」というのは、ポジティブに人生を歩むための原動力になることが多いと思います。
ただ、あまりにも考え方が自己中心的になり過ぎてしまうと、悩み事・辛さ・息苦しさは増してしまうのではないでしょうか。
自分自身が気分良く過ごせていない事で、周りにいる人達に不親切な対応を知らず知らずの内にしてしまうこともあると思います。
それでは自分の能力を、社会や周囲に向けて余すことなく発揮していくことは、大変難しいと思います。
元々、実体のない「自分」という存在には、あまり重きを置き過ぎずに、周りにいてくれる人たちへの感謝や接し方を改めると、そのいい影響が次第に広がっていきますし、それまでにはなかった視点を持つことができて、より人生を楽しめるのではないかと思います。

広い視野を持てる事で、

成熟した感性や感覚が養われて、豊かな人生が送れるのではないかと思います。
楽しいと感じることも少し変わってくるかもしれません。「ない」ということが「ある」という考えを持ってみるのはいかがでしょうか。
そうすると、人生が感謝に溢れて楽しくなっていきますよ。
応援しています。