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「省みて悔いなき人生を」で毎日が充実する

「省みて悔いなき人生を」

 


この言葉を意識する前の私は、

その時々の気分や感情や欲望などに流されやすい人間でした。その結果、自分にとってプラスとなるような知恵や習慣や技能を得るチャンスをかなり失っていた状態だったなと思います。
思い返せば、そうした時期のことが、残念でなりません。
お腹が減れば、食べ物を探し、面白そうだと思えば、何の生産性もない一時的な楽しみに時間を費やし、友達が良いというものがあれば、それを欲しがり、お年玉をもらえば、すぐに欲望のまま使ってしまい。
将来の夢も特に意識せず、その場その場で流されて生きていたように思いますね。
子供は、まあ、そういうものなのかもしれませんが、大人びたしっかりしたクラスメートもいましたから、子供のころからもっと意識的に未来について意識して生きておけばよかったなと今にして強く思います。
虫取りに夢中になったり、ボードゲームに夢中になったり、わざわざ危ない山や川で遊んでケガしたり、ほんとに、自分は、何をやっていたのか、という感じです。もっと未来や自分の死ぬべき運命を子供のころから意識してしっかり生きてゆけばよかったなと強く思います。
あの時、ああしておけばよかった、こうしておけばよかった、というような気持ちになりますね。
くっそー!あの時期の自分をやり直してみたいな、などと思います。

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そんな後悔の思いが出てきたときに、

「省みて悔いなき人生を!」と自分に言うことで、自分の死ぬ前にしておきたいことが、意識されます。自分の死が意識できるのです。
この世界から去る前に、この世界で何をしておきたいのだろう、ということを考えることができるようになります。
すると、今、自分が何をすべきなのか?ということが、逆算的にわかってくるのです。死んでしまえば、自分の持っている肉体も財産も家族や友人知人ですら、あの世に一緒に連れてゆくことはできません。
そこで自分にまだ足りないものが意識されます。例えば、もし私が肉体として死んでしまっても、夢の世界でいろいろな体験をするように、あの世でも私の意識が残っていたらどうだろう?などと思うわけです。
すると、もしそういう状態になっても困らないようにするには、「自分に何が必要だろう?」と自問自答することになります。
そこであの世で私が自由にできうるのは、おそらく自分の意思や記憶や想像力だけであろうと思うわけです。
であれば、今のうちにしっかりした目標を目指すことができる自分の意思と記憶と想像力を鍛えておかなければならないなと思ったりするのです。
当然、生きるための必要最低限のことはしなければならないとはいえ、「人はパンのためだけに生きるにあらず」という言葉もあるように、それだけでは準備不足だと気が付きます。
そして、その結果、今の私は、自分で自分の世界を自力で創造できるようにならなければと思うようになりました。
そして、想像力の可能性が無限であることを、自分の想像力に意識を向けることで気が付くようになります。
その想像力の訓練をすれば、どこにいても、自分が望む世界を自分の心の中に生み出して楽しむことができます。
そして、これは、この世でも、あの世でも通用する貴重な能力だと思うのです。
「省みて悔いなき人生を!」という言葉は、はじめは、死ぬ前にあれをしておきたい、これをしておかねば程度で、そこまでのことを私に意識させませんでしたが、何度も考えているうちに奥が深いなと思いました。


また私は、この言葉を意識するようになって、

この世界からいい感じでこの世界を卒業できればいいなと思うようになり、以前よりも、かなり、この世への執着が減ったような気がします。
昔は、世界中の食べ物を全部食べてみたいとか、本気で思っていましたが、冷静に考えてみれば、美味しいものを食べる体験は、一時のことであり、あまり記憶に残らないので、健康に生きれる適度な食べ物があればそれでいいか、とか思うようになりました。逆に、イメージの世界の食べもの?として漫画や小説や映画など記憶に残る印象をより求めるようになりました。
そして、どうでもいいことは、どうでもいいと、きっぱりと捨ててしまうようになりました。
例えば、儀礼的な年賀状とかまったく書かなくなりましたね。
そんな時間があるなら、あのまだ読んでいない小説や漫画を、生きているうちに読んでおかねば、みたいな感じです。
それと、いかに自分の得になることであっても、悔いが残ると思えば、目前の利益追求を思いとどまるようにもなった気がします。

 

私自身が、この言葉を意識することで、

人生で大事なことを意識できるようになったなと思っているので、おそらく他の方の中にもこの言葉が役立つ方がいらっしゃるのではないかと思います。
「省みて悔いなき人生を!」という言葉は、人それぞれに応じたことを意識させてくれるはずですので、かなり万能型の言葉だと思います。
人生における心残りになることを消去してゆくために、必要なことを順番にしっかりこなしていくための合言葉のように使えばいいと思います。
すると、だんだんとこの世への未練や執着が減ってゆき、それぞれの方に必要なことが意識できるのではないかと思うのです。
私の場合がそうでしたので、試しにこの言葉を心の中で使ってみてほしいなと思います。


私の体験からすれば、

積極的に人生の終わりを意識することで、人生をより有意義に生きることができると思うのです。
そして死後の世界にまで思いをはせることができるようになるとも思います。
いつ死んでもいいや、という思いを持てるようになることが、最大の自由ではないかと思います。
そうした心境になることができれば、たいていのことは、なんでもできるようになるとも思います。
この言葉を自問自答し続けた結果、「死ぬ前にどうしてもやっておきたいことをするためには、命をかけてもいい」と私はある時点で思いました。
なぜなら、死ぬ前にやっておきたいことがぜんぜんできないままに死んでしまうのでは、人生を生きる意味がないと思ったからです。
無謀に命をかけるのは、賢明ではありませんが、自分の人生において、何が最重要なのか?を自問自答し続けることで、有意義な人生が送れるようになると思うのです。
この言葉が、すべての方にとっての万能薬にはならないとしても、どなたかの人生における助けになれば、幸いです。